日本人の多くは”討論”の本質を誤解している!~ディベートの持つ意味~

2025-01-21

ディスカッションとディベートの違い

みなさんこんにちは、シンです。

これも英会話学習法の一つと言えますが、

英会話力を伸ばす手法としてよく用いられるディベートについて、

今回は掘り下げてみます。

ディベートを語るうえで、日本人が陥りがちな点があります。

日本人の多くは”討論”の本質を誤解している、ということです。

『討論』。

英語でいうところの“debate(ディベート)"にあたりますが、、

私のこれまでの経験上、

出会ってきた多くの皆さんが、本当の討論というものに慣れていないふしがあります。

私が大学生の頃の話です。

私は当時、英会話サークルに所属しており、

主な活動内容として、自由な日常英会話を楽しんでいました。

そして定期的にディスカッション(議論)、

ディベート(討論)をサークルメンバーたちと行い、

互いに会話能力を磨いていました。

さて、ディスカッションディベートの違いはなんでしょうか?

どちらも議論、討論という、似たような意味を持ちますが、

Weblio(ネット上の英語辞書)で調べてみると、

discussion(ディスカッション)

:討論、論議、討議、話し合い、検討

debate(ディベート)

:(相手を打ち負かそうと公式の場で)討論する、討論に参加する、討論する

お分かりでしょうか?

ともに”討論”という意味を含んでいますが、

両者は似ているようで、実際には大きく異なります。

discussionは、その議題について参加者が様々な意見を出し合い、結論を出そうとするもの。

それに対し、

debateは議題について参加者が2つのグループに分かれ、

それぞれが『賛成論』『反対論』の姿勢を維持し、相手グループを”打ち負かす”ものです。

”論破する”とも言えます。

具体例を挙げます。

2020年の”コロナ禍”でトレンドになった政府の経済政策、

『GoToトラベル』について議論(討論)すると仮定しましょう。

discussionが、政府の施策についてそれぞれ自由に意見を述べるのに対し、

debateでは、政府の政策に対して、

『何の制限も設けず、全国自由に旅行できるようにすべき』という賛成派と、

『コロナ感染拡大を抑えるため、一切の旅行を禁ずるべき』という反対派に分かれ、

それぞれが相手グループを論破しようと努めるものです。

(あくまで具体例です😀)

debateの場合は、”自分の意見”が賛成であろうと、反対であろうと関係ありません。

それぞれが属したグループのポジションに従い、相手を論破しなければなりません。

論理的思考力を磨くトレーニングともいえます。

『討論=人格を否定すること』ではない

大学の英会話サークルで、ディベートをした時のことです。

議題についてはもう覚えていませんが、

5対5くらいに分かれ、討論を白熱させました。

やがて白熱したディベートも、片方のグループの勝利に終わりました。

なかなか有意義なディベートだったなと私が満足していると、

相手グループに属していた女性が私の前に来て、

『あんな言い方しなくてもいいんじゃないの?』😡

と、私に非難めいた口調で詰め寄ってきました。

(※画像はイメージです。)

『えっ!?』😱

私は一瞬、戸惑いました。

私はディベートにおいて、相手グループに勝利するべく、

いかに相手を打ち負かすかを考え、

するどい口調で発言したことを思い出しました。

しかし、これはディベートという一つのゲームです。

また、違う言い方をすれば、

いかに相手を論破できるかを考える、

いわば”論理的思考を磨くトレーニング”です。

ですが、、

その女性は『私の人格を否定された』とまで言いたげな口調でした。

少し涙目になり、『もっと言い方ってものがあるんじゃない?』と。

私は、決して普段から女性に厳しいような男ではありません。

言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、

普段はむしろ控えめで遠慮がちな人間です。(そのつもりです。)

それでも、ディベートの本質は理解していたつもりですし、

まして、英会話力を磨くのに遠慮などする必要はありません。

もちろん、コミュニケーションをとる相手のことは尊重し、礼儀を守るべきです

ですが、英語は”主張してナンボ”の言語です。

そこには日本人らしさ、相手を思いやる、慎み深い論じ方は必要ありません。

こういう書き方をすると誤解を招くかもしれませんが、

日本語にくらべて英語というものは、

回りくどい冗長な表現などは少なく、

論理が分かりやすい言語、といえるでしょう。

その女性は、ひどく感情を害されたような言い方をしていましたが、

私は一切、そのつもりはありませんでした。

むしろ、その女性のことは認めていましたし、

自身の考えをはっきり言える、芯の強い女性だと尊敬すらしていました。

ただ彼女は、ディベートについて誤解していただけです。

感情的にとらえてほしくないのです。

私はそのことも彼女に伝えましたが、理解してもらえませんでした。

尊敬していただけに、少し残念な気持ちでした。😥

このような経験を、私はディベートに参加するたびに、味わいました。

必ずといっていいほど、一人はいました。

ディベート終了後に、非難してくる人。

社会人になってからも変わりません。

私が、たまたまそういう人たちと出会ってきただけかもしれません。

それでも、『日本人の多くはディベートを誤解している』と考えるようになりました。

英語を学ぶのは大事、でも、、

これは以前から思うことですが、

日本人は『英語を話すことを学びたい』と考えますが、

『何をどのように話すのか』を置き去りにしている人が多いのです。

話す内容をしっかり考えていない、とでも言いましょうか。

その結果として、

必死に英語を学んだにもかかわらず、外国人と対等に議論できません。😓

もっと言えば、『論理的に話す習慣が少ない』のです。

これは言いすぎかもしれませんが、

試験勉強や資格勉強に精を出す日本人の典型的な特徴だと思っています。

その勤勉さそのものは、素晴らしいことだと思いますが。

日本語は表現力がひじょうに豊かで、これは世界に誇るべき特徴だと思います。

たとえばWeblio”but”の訳語を調べてみると、、

しかし、だが、けれども、(なるほど)…だが、(…ではなく)て、でも、おや、そりゃあ、…のほかに(は)、…を除いて(は)

と、これだけ多くの意味が日本語にはあります。

日本語はこれだけ表現が豊かだということです。

しかし裏を返せば、相手の意見に対して、返答をごまかしがちになるということでもあります。

『いやぁ、それについてはですね、、』

『なるほど、たしかにそうですね、~以外は、、』

逆にいうならば、これらの多様な日本語の表現を、

英語ではBut、の一語で片付けていることになります。

そういう意味でも、英語は論理的思考を鍛えるのにうってつけだと思います。

さまざまな会話表現を学ぶのは、英語を話すために大事なことです。

ですが、外国人と対等に議論をしたいと望むならば、

『何をどのように話すのか』というマインドこそ、もっと大事です。

相手を気遣いながらも、自身の主張ははっきりと”論理的に”伝える。

感情論は必要ありません。

感情で話しては、それこそ相手に誤解を与えてしまいます。

それこそ、こちらが伝えたい真意も、伝わらなくなってしまいます。

論理的思考力は、コミュニケーション能力の重要な要素です。

それは日本語でも同じことです。

論理が通らない話は、相手に敬遠されます。

ビジネスにおいても、ひじょうに大事なことですよね。

コミュニケーション能力を鍛える意味でも、

英語を学ぶことはひじょうに意味があります。

表面的な言葉、中身を伴わない言葉を覚えても、

コミュニケーションの現場ではあまり役に立ちません。

”話す内容”に意識を向けたい方は、以下の記事も参考にしてみてください。

あなたの英会話学習が花開きますように!😀

それでは、またの記事で。

➡️『英会話学習法』ページ

英会話学習法

Posted by shin